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『主人公は僕だった』(「Stranger Than Fiction」06年)
レンタル落ちをいくつか知り合いからもらったという脱法(できてない)話をこの間書きましたが、そのうちのひとつがこれ。最近、朝から晩までバイトで暇がないのですが、夕飯時に父親がいない場合はテレビ権が私に譲られるので見れます(笑)というわけで、昨日鑑賞。
ストーリーはご存知の方が多いと思いますので、ここをリンクするにとどめておきます。今まで、私はウィル・フェレルに晩年2位俳優(なかなか主演映画でボックスオフィス全米1位を取れないから)というレッテルを貼っていた上に、アクが強い顔で勝手に苦手意識を持っていたのですが、これほど彼がこの役にぴったりだと思ったことはありませんでした。あの彼が演じる国税庁に勤めるハロルドは何をするにも数字をカウントし、人とは仕事以上の関係を持たず、つまらない退屈な男・・・そんな彼の人生を一変させる『声』 ― 散りばめられた皮肉と、ユーモラスで魅力的な登場人物たち(キャストがまた良い!!)。エマ・トンプソンの振り切れ加減は女優としても脱帽だし、クイーン・ラティファの相も変らぬ重量感と彼女なりに抑えた演技が光る、マギー・ギレンホールもこんなに可愛かったっけな?と思うほどチャーミング、ダスティン・ホフマンに関しては、やっぱりこの映画の時間感覚を握るほどの絶妙さだった。だから死の宣告を「声」から受けて、ハロルドは慌てふためいても、映画の流れる時間が依然としてゆったりとしてる、にもかかわらずミステリーとしても上質なスリルを味わえるのがまた秀逸。近年の、ダスティン・ホフマンは低予算で良質な映画選びが非常にうまくて、円熟したキャリアに付随した存在感をうまく作品に溶け込ませてると思います。脚本も良いなぁ、字幕では簡略化した訳になってる部分が多かったけど、マギー演じるアナに恋しても『数字よりも好きになれるのは彼女だけなんだ』と言ってしまうハロルドがなんか可愛いんです。プラス、欠かせないのが音楽!Spoonを中心にThe Jam、ラストはMaximo Parkまで流れるとはこだわりを感じてニヤついてしまいました。こちらで少し聴けます。
注意深く観れば、冒頭からラスト(のオチ直前のアレ)を想像できるのですが、あのシーンは思わずハッと息をのみこんでしまうし、一瞬カオスに飲まれたような不思議な感覚も覚える。ハロルドが「死」を奇妙なかたちで受け入れた故にとった行動なのか、死の勲章を残したいと思いからの行動か、「声」を聴く前とは別人になった彼が自然にとった行動か・・・それは分らないけど、真のラストを見たときに包まれる安堵感と幸福感は、良い映画を観たなぁという感覚なのかな、と思いました。派手さはないけど、なかなかの快作です。この焼きたてクッキーのような素朴さも、きっと制作側の狙いなんだろうし、良しとします。